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date 2007.1.28
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仕事の話


大学生後半の1988年と1989年の二年間、美術予備校で講師のアルバイトをしていた。その時に教えていた、ある生徒から初めて仕事を頂いた。彼とは、この20年でおそらく2-3回しか顔を合わせていないのではないか。個展に足を運んでくれたり、年賀状のやりとりがあったり。その程度のお付き合いだったが、彼も社会的に発注出来る立場になり、僕に仕事をくれたという訳です。今回の仕事はプレゼンテーションで、決まればまとまったギャラが手にはいるが、決まらなかった場合はプレゼン料のみ・・・という流れ。電話越しに彼の並々ならぬ意欲を感じたし、ファクスで送られてきたラフスケッチも、かなり気合いが入っていた。題材も僕好みだったので、この土・日を潰して思い切りこの仕事に打ち込んだ。イラストレーターという仕事・・・言われた題材を客観的に、正確に捉えられるかが第一関門。あとは自分の想像力をどれだけ膨らますことが出来るか。その「膨らまし加減」というのは担当者のテンションに頼るところが大きいのである。彼の期待に応えれれたかどうか解らないが、ずっと気にかけていてくれた様で、本当に有難い限り。うまく行くといいな〜。
ゆくゆく感性が鈍り、仕事の依頼が無くなる日が来るかも知れない。最後の1人からの発注があるまではこの仕事を続けようと思う。

Comments: 3 comments

  1. よしみーん

    先生と生徒から仕事のパートナーへ・・・いい話だなぁ。
    膨らまし加減は担当のテンションに頼るところが大きい、これは私も痛感です。人が共鳴しあったり理解しあったりすることで、いい作品が生まれる、やっぱり「人」なんだと思いますね。
    ちなみに、マティックは自分の作品を忘れてしまうということはあるんでしょうか。愚問のようだけど、私は一作品だけ記憶のかけらもないものがあり「これを作ったのはあなたですよ」と言われても、サッパリ思い出せずだったことがあるんです。これには自分でも驚いて、理由を考えてみたんですが、担当とのつながりが稀有だったというのも要因かなと思った次第。
  2. よしみーん

    稀有じゃなくて、希薄、でした。
  3. よしみーんさん→
    自分の作品を忘れてしまう・・・。これ、かなりの頻度であります。いや、実際に作品を見れば、自分が描いたものだと確信出来るんですが「あ〜、そういえば描いたな」という感じです。作品に対する情熱がないという訳ではなく、無心で描き、一度入稿すると頭を切り換えなくてはならないので・・。これは担当の方のテンションではなく、こちらの一方的な問題ですね。この歳になると病気という疑いもあるかな?