足りない何か
昨年の暇な時期が嘘だったかの様に働きづめの毎日、ちょっとオーバーフロー気味です。アシスタントが欲しいけど、そういう器量もない。今年に入ってからは、寝ているか、食べているか、描いているかのいずれか、ですね。そんな時期にもかかわらず、以前から暖めていた企画を具現化させたくて、とある場所に出向いてみたり。普段はクライアントから引き受ける立場なんですが、今回は逆に提案しに行った。駆け出しの頃は良くやっていましたけど。鹿児島ってグラフィックデザインの領域だけでみても、まだまだ隙間があるというか、出来ることが沢山あると思うんです。「足りない何か」が解っていて、おぼろげでも解決策の提案があるのなら、すぐにでも企画書にまとめて持ち込んで見ればいい。小さな企業でも、官公庁でも。最近、鹿児島のデザイン事情が変わって来ている、と以前書いたと思うんですが、今回はそういう流れに背中を押されました。九州新幹線全面開通(大阪まで4時間!)を来年に控える今こそ、必要最小限の「何か」は揃えておきたいものですね。















pta
2010/03/19 08:46
鹿児島のグラフィックデザインの隙間。厳密にやろうとすればするほど現実的な壁にぶちあたります。「デザインのようなもの」を施すのは意外と簡単。誰でもデザイナーを名乗れる土地柄です。そしてそれらの効能も弊害も知っています。一見新しそうに見えて、実はただ同じことの繰り返しであることも。純粋美術と応用美術。亀倉雄策氏あたりからたどる必要がありそうです。もうちょい前かな(笑)。表象ではなくその取組みを参照しながら。「コミュニケーションデザイン」という「言葉」が叫ばれる時代にあえて根っこから取り組んでいます。基本は今も昔もたいして変わらないので。◯し方教室に通っても話すべき言葉を持っていなければ不毛ですよね。どちらかといえば聞き方教室だ。何が求められているか、何が問題で、何が必要なのか。そしてそこにデザインという視点を落とし込んだ時、何が見えるのか。現時点ではクリアしなければならないことが多くてなかなかお仕事をお願いできずにいます。またお話させてください。今回はあえてこちらに。
イデグチ
2010/03/19 10:16
って話かと思いました。
ohtematic
2010/03/19 10:43
流石に深く突っ込んできましたね。
鹿児島に限った話ではないと思いますが、デザインに携わっている人間が普通に存在にしている状態が理想だと信じています。ボランティアでもサービスでもなく、きちんとした職業として立脚しているというか。結果として、世の中が良くなっていくという実体験が広まればいいですね。抽象的な表現ですが。デザインが人生に何を及ぼしたか?という経験が相手側にないと、伝わることも伝わらないですしね。
イデグチ氏→
おお〜!そうなんですよ。今、自分に足りないモノ、それは建設車両。これ、幾らするんだろう?これで公道を爆走したら、自分の気持ちとは別に見えるもの全てを破壊してしまいそう・・・。
pta
2010/03/22 22:32
>>世の中が良くなっていくという実体験が広まればいいですね
ここに尽きますね。しばらくがんばってみます。
ohtematic
2010/03/24 23:56
ptaさんは、十二分にがんばっていると思います。
何か、面白いことやりたいですね。