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date 2010.11.24
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若い感性というもの

若い感性というもの

専門学校の卒業制作の一次審査をしてきました。学生は一人ずつ、審査員の先生方や下級生の前でのプレゼンテーション。ブライダルに使われる様な広い会場で、さぞかし緊張すると思う。学生には勿論個人差があって、進捗状況や発表のスタイルはまちまち。そんな中で、スケール感のある発表は2名ほど。後は・・・この後どうなるか解りませんが、萎縮している印象。
デザインの専門学校ですが、企業課題と自由課題があり、後者は自由な展開が許されています。僕は毎年この時期になると、自分が取り組んだ卒業制作の事を思い出すんです。クオリティ、完成度などはある意味どうでも良く、就職しないと決めていたから、これから社会と向き合う自分がひたすら不安だった。そうした中から生まれる勢いや憤りを全てぶつけようと、必死だった。規定では、最低限パネル2枚(だったかな?)程にまとめれば、卒業制作として認められる。だけど、学校に認められるとか、そういう問題ではない。自分の思いがパネルに収まるのか、と。やりたい事が山ほどあった。当然、壁に展示出来るものは最初から投げ出して、学校側にも最大限の空間を確保してもらった。僕には幸運な事に、真剣に絵に取り組む仲間がいた。その仲間とともに、寝る間も惜しんで卒業制作に取り組んだ。そういう自分の過去と照らし合わせると、明らかに、何かが違う。おりこうさんなんだ、みんな。小さな時代なのか!もしかすると、友達の顔色や、何らかの空気を読んでいるだけかも知れないな。そんなの友達じゃないよ。二次審査もあるというから、このあと若い感性が爆発する事に期待しよう。(写真は地元の文化祭に出品されていた小学生の作品。素晴らしいですね)

Comments: 10 comments

  1. ダーンサ

    あれ?あん時のオーテマくん不安とか必死とかあったんだ!
    知らなかった、、、。気にもしてなかったのかも。
    オレって当時も今も不安も必死もな〜んも無いんだよ。
    最近になって、こういう人は珍しいことに気づいたくらい鈍感というか、
    才能ってことにして更に自信につなげてます。

    オレがオーテマくんほど上手かったらもっともっと自信もって、
    調子こいてますよ〜。
    若者というか日本人っていい意味で調子コクの苦手ですよね。
  2. ohtematic

    ダーンサくん→
    不安という意味では今でも不安ですね。逆に、僕がダーンサくんの性格だったら、もっといろいろとやってるなあ。芸能活動とか?シュールなお笑いタレントとかね。映画「<a href="http://www.amazon.co.jp/ボラット-栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習-完全ノーカット版-DVD-ラリー・チャールズ/dp/B003N1Y0GI/ref=sr_1_4?ie=UTF8&amp;s=dvd&amp;qid=1290538053&amp;sr=8-4" rel="nofollow">ボラット</a>」はダーンサくんとキャラが重なりました。とにかく、羨ましい性格!一般的には「お目出度いヤツ」です。
  3. 小学生や中学生の絵画展とかで学年別に展示されているのを見ると、低学年ほど「参りました!」と驚かされます。
    年齢が上がるにつれていろんなものを見過ぎたり、考え過ぎたりしちゃんでしょうね。

    ああ、卒業製作…。
    シルクスクリーンで大きな作品を作りたくって、自分で購入した消耗品も多かったけれど、今思えば大学の工房の資材を使いたい放題だったなー。
    無駄遣いはしなかったけど、いやー、使ったなぁー。
  4. ohtematic

    はな→
    はなさんの卒業制作!見てみたいですね。
    絵に関しては、子供の感性にかなわない部分があります。勉学を積む度に、無意識的に忘れてしまうものが多すぎるから・・・。だけど、それを乗り越えた先には、子供に負けないオトナの感性があると信じたいですね。僕は、学校では不真面目な生徒でしたが、施設は一番使った様な気がします。アルバイト代はおっしゃるとおり、殆ど画材に消えていました。そういえば、今の時期、卒制とは別に、10号館の前に自腹で8万円ほど使ってクリスマスツリーを作ったな〜。
  5. うわ!
    誰が作っていたんだかわからなかったけど、確かにツリーが立ってました!
    ええっ!?
    なんてことだ!
  6. ほんのり記憶にある「アレ」はそうだったのか?

    ほんとに消えかかった記憶で
    10号館はくっきりしてるのにその前のツリーは
    輪郭さえも見えません。
    でも何かある。

    多分、写真を見れば「アッ」って思うと思う。
  7. ohtematic

    はなさん→
    覚えていてくれたんですねえ。あれは、作品ではなく、ただのツリーだった訳ですが・・・どこかしら、誰かしらの記憶に残っているというのはホント、嬉しいですね!
  8. ohtematic

    しば氏→
    多分、1988年のクリスマスだったと思うんですよね。日本語CMを一切受け付けない「J-WAVE」が立ち上がった頃。マルイクリスマスとか何とか言って、世の中が浮かれていた頃。
    ツリーのデザインは、確かに、輪郭(と言える様なもの)がなかったです。敢えて言うと三角錐です。木材のフレームと枝を白く塗り、あとは電飾でごまかした。でも、ツリーの周りにいろんな人が集まって、ちょっとしたパーティー気分になりましたね。あれもバブルのなせるワザだったのでしょうか。
  9. 若い子も保身に走る時代ですよね。ほんとに。
  10. ohtematic

    遊子さん→
    ホントですよね。これは、やはり不景気だからなんでしょうか。悪い時代の方がイイものが生まれるという考え方もありますから、悲観したくはないのですが。特に男の子!元気がないです。