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date 2012.2.6
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南日本新聞「南点」を振り返る(10)

南日本新聞「南点」を振り返る(10)

昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と追記を本ブログで紹介していきます。
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ありがとう。スティーブ・ジョブズ
 
 10月5日、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ(以下SJ)が永眠し、世界は悲しみに包まれた。私がアップルに出会ったのは1993年。デザイン業界もパソコンの登場によって大きくその様相を変えて行く時代だった。当時27歳だった私は、一式230万円もするマッキントッシュを導入、人生初の大型ローンを組み5年をかけて支払った。以来、何台も乗り継ぎ、今でもユーザーの一人である。
 シンプルなその外観は「何故マウスにボタンがひとつしかないのか」と冷笑されることもしばしばあった。しかしその哲学は現在誰もが手にしているiPhoneのホームボタンへと受け継がれている。簡素な方が美しく使い勝手も良い。そうしたSJの視線は流行を避けるかの様に、未来へと注がれている。自社製ディスプレイコネクタの規格を切り捨てたり、CPUのメーカーを変えてユーザーを困らせたりもした。しかし、SJの「個人の意思」が完璧に貫かれている新作が発表させる度に、失意は希望へと塗り変わる。彼の想像力の豊かさが理屈を超えて共感を生み出す。ハード、ソフト両方を自社開発出来る希有なブランドで「デザインとはこうあるべき」と何度も教えられた。「トイ・ストーリー」を始めとする一連のピクサー作品も彼なしには成立し得なかった。また、SJはヒッピーだったこともあり、繊細なイメージの製品の中に、荒削りな冒険心や野心を感じ取ることも出来た。優しさと厳しさが同居しているとも言えよう。そしてその根底には「自由」がある。これは最も大きな魅力だ。実際、私も場所や時間を気にせず働く事が出来る様になった。
 子供の頃、図鑑で観た21世紀ではエア・カーが街中を走り、月世界旅行も当たり前のだった。ところが蓋を空けてみれば、自主規制と節約ムードの質素な時代・・・。そんな中にあってSJは、あの頃よりもカッコイイ未来を描き出せる「革命家」であり「美術家」だった。 心よりご冥福をお祈りいたします。

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追記:
この「南点」連載中に他界してしまったために取り上げた話題です。この手の文章は追悼を通り越して「どれほど好きだったのか」という自慢合戦になってしまいがち。実際に、亡くなって間もない頃は、そうした記事やツイートばかりが目につき「ちょっと違うんじゃないか」と何度も思いました。自分の文章も、そういう風に受けとられては困るので、ほとぼりが冷めた頃に書きました・・・。外人(というおおまかな括り!)が他界して涙したのは、フレディ・マーキュリー以来。
先日、叔父の耕運機のエンジンをかけようとしている時に、どうしても上手くいかなかった。手元にあるiPhoneから耕運機の説明書をダウンロードして、手順通りに説明する場面がありました(結局かからなかったけど)。こういう状況・・・つまりデジタルとはあまり関係のなさそうな場面で使われる時に未来を感じますね。

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