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date 2006.10.27
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連載小説・昭和の高校生 第十三回


「君がどこまで感じたか、私には解らない。しかし、これが私の考えるジャズなんだ」マスターはそう言った。(ジャズ?)牧夫は「マティカ」にあるスピーカーやアンプの事を思い浮かべて、両者を必死に結びつけようとした。マスターは続ける「君は、雑音の中で飼い慣らされている、そして、それは体に良くないんだ。解るね。風味のない食料、陳腐な絵画、尊敬出来ない人たち・・・それと同じだよ。私には、何かの罠としか思えないんだ、特に悪い音については。君はそういう事象に囲まれて麻痺しているんだよ。真実というものがもしあるとして・・・それを探求するにはまず、養殖されている状況から脱却しないといけない。いつでも飛べる様に。今、君にとって探求すべき事は、薫子さんの事だね?・・・あのテープは純粋だよ・・・12本の佇まい・・・が、十分に物語っているだろう。が、君は何も行動しなかった。残念ながら、君が普段の生活で使っている『感覚』そして、普段君が使っている『オーディオ装置』では、それを取り出す事は不可能なんだよ」。牧夫にとっては、まるで薫子が乗り移ったかのような台詞にも思えた。「取り出す?」牧夫はマスターに食らいつくかの様な尋ね方をした。「ルーザー、まずは音を理解するべきだ。閉ざすべき感覚と、拡張する感覚のバランスも悪いようだからね。それらをきちんと意識している限り、罠にはまらずに済むんだ。君は今、この景色に漂い、感じただろう。きっかけの一歩は良い具合だった。今日聴いたジャズと同じ要領だよ。」マスターはそう締めくくった。牧夫はこれまで、大人からこのような強いメッセージを受け取った事はなかった。聞く耳を持たなかったのか、実際にそんな事を話す大人が側にいなかったのか・・・。闇の中から葉っぱの動く気配がして、サイボーグと雪男が現れた。雪男は竹で出来た笛をカバンにしまおうとしていた。(さっきの笛の音は、雪男による演奏だったのか。)何事もなかったかの様に4人は車に乗り込んだ。牧夫が吹奏楽部で気にしていたのは、リズムをキープしたり、正確なメロディを奏でる事であった、そうした状況の中で音楽的快感に浸っていた。しかし今回の体験はどうだろう。それは、全く違う性質の「音響の体験」であった。同時に真の意味で「音楽」と言い切れるものであった。マスター達は普段からあのような意識でジャズを聴いているのだろうか。商店街の裏路地で、毎日こうして真実を確かめているのだろうか?これまでの音楽の授業が全て無意味に思える程、牧夫は音響の「深さ」というものを意識する様になっていた。「マスター。マティカの装置で、あのテープを聴かせてくれませんか」牧夫がそう言うと、サイボーグが「フォフォッ、いいね、それ」と笑った。

Comments: 3 comments

  1. ある本で藤枝守が書いてたことを思い出しました。
    身体性を浮かび上がらせるために作曲において「聴くこと」をデザインする、というようなことが書いてあったと思います。
    これからの牧夫の覚醒に期待!です。
  2. 彷徨える10代の感性!
    懐かしくもキラキラと輝き、
    眩しくもこの世代への
    仰望の思いが溢れます!
  3. 03Rさん→
    藤枝守って、聴いたことはないのですが、聴いてみる価値アリでしょうか?
    聴くことをデザインする、いい表現ですね。その事が考えられていないオレオレの音楽が横行している様に思います。大手ハリウッド映画に見られるような派手で、受け手の入る余地がないものの寿命は短いですよね。
    Sputnikさん→
    的はずれかも知れませんが、僕らの世代は「こうなりたい」という大人の像がはっきりあったと思うんです・・・僕の場合は自由に彷徨っている人のイメージが中心でした。今はヒルズ族に代表されているのかな、悲しいですね。