ohtematic.com

news

date 2010.1.20
category living
tags
comments closed
RSS RSS 2.0

久しぶりに絵の具を使っています


個展の準備中です。昨年、隈之城で開いた個展の時にも描き下ろしのアナログ作品が数点あったのですが、回顧展的な意味合いが強かったためか、デジタル作品に押しやられてしまっていました。31日からの個展は、その反省点も踏まえたものにする予定です。絵の具を使っていると、普段の仕事では味わえない感覚と闘う事になります。仕事では、印刷され大量生産される事が前提ですから、絵の持っている手触り感というのは、少なくとも僕の場合は邪魔になります。絵の具の盛り上がり方などで表現される「物質感から醸し出される情緒」で人の気を惹こうというのは全く意味がないんですね。しかし展覧会場では、全く逆の力が働いてくるんです。プリントされたモノは原画に較べると弱い。たまに、強い場合もあるかも知れませんが。デジタルとアナログの揺らぎをテーマとした前回の個展と、どう区別していくのか、自分でも先が見えない部分があります。ただ、昔観たかった風景を描いているという気持ちが高まってきています。

Comments: 15 comments

  1. おおっ!
    ちょうど昨日イラストと絵画の違いについての意見を伺ってみたいと
    書いたけどやっぱり送らなっかたトコです。
     
    筆で描いたものって筆跡やマチエールなどで過程がドキュメントとして残る分鑑賞者にとって解りやすい(共有しやすい)と思うんです。
    マチエールのないエアブラシやプリントアウトされたものって
    手数と重さが比例しない分「絵画」というカテゴリーに属しにくいし
    ちょっと過程を共有しにくい、
    例えるなら
    『芸術品』と『日用品』でしょうか?
    みんなが村上隆をキライなのは絵にソウルがないからだと思います。
    ウォーホール、コスタビ、ヘリングとか
    でもダビンチは筆跡を残さない技法ですもんね、
    う〜ん、質問がよくわからなくなってきた〜
    でも一応書き込みしておきます。
  2. しば氏→
    イラストと絵画、この違いは難しいですよね。現在、純粋芸術と呼ばれている絵画も、当時にしてみるとイラストレーションであった場合が多い。ルネサンス期の絵画は、受胎告知など、宗教の物語を説明するのに必要だった訳ですし。イラストですよね。で、マチエールの必要なし。そういう観点からすると僕が影響を受けた人は、マチエールや筆致に頼らない人が多い。どうやって描いているか、よりも何が描かれているかの方が大切だから。
    デジタルの難点は、同じ苦労をしてもおっしゃる通り過程が見えづらいという事ですね。ちょっと前まではそれが世間的にも快感だった様に思うのですが・・・。過程や仕組みが大切な時代にさしかかっていますね。
    ソウル、難しいですね。これは自分が避けてきた問題です。
  3. お金の発生の仕方で決まると思います。
    絵画である「モナリザ」もダ・ヴィンチ展のポスターに使ったものは
    イラストです。
    立体イラストなんてのもあるから、お金がどこからどういう経路でくるかが一番わかり易いと思います。
    「イラストレーション」って言葉が無い時代のはイラストであるわけがない。
    それか、そもそも印刷用語だから印刷物上のイメージにあたる部分。
    でもwebだのなんだの最近はいろいろあるから、やっぱお金で区別がいいな。
    たまに見かける「イラスト展」はバカかと思う。
    実際にイラストレーションとして使用されたものの原画展「イラスト原画展」なら理解できる。
  4. ダーンサ氏→
    情報、有り難うございます。お金の流れは、解りやすい話ですね。僕もたまに授業で話しをします。カテゴライズする事自体にあまり力を入れたくないのですが、絵画系の人と、デザイン系の人は姿勢が違いますよね。イラスト展、確かにおかしな表現です、絵手紙とか、ちぎり絵も入っていたりね。ちょっと解釈が違いますが、イラストレーションという言葉が一般化する以前にもイラストレーターはいたと思うんです。ウィキペディアで調べたら洞窟壁画もイラストだと書いてありました。社会的な目的があるのがイラスト、自発的な衝動が絵画かなあ。
  5. それは今で言ったらイラストレーションってことだよね?
    イラストレーションはそもそもグラフィックの専門用語だよ。
    一般化した時に単に挿絵を指してしまったり、
    本来と違ったニュアンスがついてしまったんだと思います。
    一般的な意味で言ったら、洞窟壁画も浮世絵もイラストになり、
    オブジェや立体イラストはイラストではなくなります。
    社会的な目的な意味を感じて自発的に絵画を描くこともありそうだな〜。
    衝動的って言っちゃうとメッセージ性を重要視してる絵画の人は
    ガッカリしちゃうよ。
    イラストレーター側から言うと
    使用用途があり依頼者の制作意図にそって描き、デザインが施されたメディアイメージ。
    依頼者の視点から言うと、デザインの一部。一要素。
    言えば言うほど、わかりにくくなるね。
    だから、一般人は絵のこともイラストって言ってるんでしょう。
  6. 質問が解りにくくてすいません。
    僕が聞いてみたかったのは社会的な定義ではなく
    あくまで主観的な見解(もしくは趣味)だったんです、(スイマセン)
    なんというか『絵画とイラスト』を例えると、
    『貴重品と消耗品』『宝とゴミ』『流木とペットボトル』的な?
    ただゴミのなかに宝があったりするんでその辺の事です。
    (ほんとボンヤリクエスチョンですいません)
    『イラスト展』と『イラスト原画展』の扱いの差といいますか、
    ライトとヘビーというか「原画」の言葉が持つ厳かな響き
    「上田三根子イラスト展」と「小松崎茂イラスト原画展」的な
     
    ダーンサさんの言う
    「メッセージ性を重要視する」っていうのは
    『メッセージ性を重要視して描いてる俺がカッコイイ』と思って描いた物ってことですよね?
    大寺さんの作品、ソウルあると思います。
    「ソウル」って字にするとなんか安っぽいけど…
    「いやらしくない」ってことです。
     
    文字が多いほどボンヤリしてきた…。
  7. 何だか熱い事になってきましたね。平日の昼間だけど、みんな、暇なんだ・・・。
    ダーンサ氏→
    そうですね、衝動的というのは、まあ、いい意味で言ったんですけどね。何か、沸き上がってきたものをぶつけるというか。社会的な目的も、あるんでしょう。美術系の学校に進学する場合は、ファインか、デザインかという選択肢が最初にあるので、未だに引きずっている部分があります。ダーンサさんは両方とも勉強していて、スゴイです。一般的にはどうでもイイ事なのかも知れませんが、軽いイメージのものをデザインやイラストと呼ばれている気がします。またまた話しがズレたかも知れません。
    しば氏→
    ボンヤリクエスチョンにお答えします!
    趣味の問題で言うと、やはり美術館にきちんと収められる様な、或いは富裕層をターゲットにしたものよりは、大衆の側を向いているものを描きたいですね。小松崎氏は、イラストレーターだったけど、最終的にはアーティストとして亡くなった。赤塚不二夫も漫画家だったけど、最終的にはアーティスト。本人が決めるモノではないですよね。イラストを通じて、何かそのあたりの重みを持ったものを表現していきたいと思っています。それがソウルなのか何なのか解りませんが、ソウルを見せないソウルもある訳ですよね。それもカッコイイ。答えになっていないなあ。
  8. 「命ーーーーっ!!!!」って筆で「バシーーー!!」って描いたらアートって言われるんでしょうね。
    「命」ってB全パネルに明朝体ででっかく描いてあったらデザインって言われるんでしょうね。
    「いのち」って色鉛筆でファンシーな色使いで描いてあったらイラストって言われるんでしょうね。
    .
    シーンの無いところで、言葉を並べるだけ並べなきゃなんない状況に追い込まれる不毛さに最近は・・・。
    .
    昔観た「115人のイラストレーターが描く井上陽水の115曲」はおもしろかったなー。
  9. ボンヤリした質問への回答ありがとうございます。
     
    『アート』という言葉のぐらぐら加減といったら…
    聞いたり目にする度に軽く違和感を覚えます。
    肩書きにさえむずがゆくなる体質なのでよけいに
    そうなのかもしれませんが、
     
    その違和感を一瞬で察知できるなんて、
    人間の感覚って凄いなって思います。
  10. しばさんの『メッセージ性を重要視して描いてる俺がカッコイイ』とは思ってもいませんでした。ヒドイねしばさん!
    たとえば戦争経験者がこんな日本だけど社会に実際の戦争体験を伝えなければと、行動に起こすのは衝動とも言い切れないし、むしろ必要。
    メッセージは個人に向けたもの以外は社会に向けてると思うので、
    社会的であり、単に衝動的って言うのは失礼だと思ってます。
    イラストだなんだの定義はptaさんの言ってる
    画材や表現方法による見た目の重さ軽さで分けてるのが現状だと思います。
    でも、そうじゃないとわかってる人かどうかでプロとアマが区別されるかな〜。
  11. ptaさん→
    シーンの無いところで・・というのは適確ですね。しーんとしている、なーんて。他でサラリーをもらっている人が趣味的な意味で、デザインとかアートとか言い出したものだから、ややこしい事になってきた。本当のシーンを作りたい、見せたいというのはありますね。
    しば氏→
    一瞬で違和感を感じる事は良くあります。敢えて、そのあたりが怪しい人に「どこまで本気なのか」と尋ねてみることは良くあります。
    ダーンサさん→
    見た目の軽さでイラストと言われるのは本当に心外ですね。ところで、しば氏の発言ですが、ダーンサさんの事ではないと思いますよ。ダーンサさんの作品はメッセージ性を超えていますよね。僕も「キミは独りじゃない」的な事を言うつもりはさらさらないです。
  12. マテック氏、更に誤解してますな?
    しばさんがワシに対してヒドイわけが無いじゃない。単に読み違いでしょ?
    でも、「俺がカッコイイ」などと言うヒドイ偏見な考えを持つ人だねしばさんは。とチクリとは言ったつもりだったのですが、、、。
    人に伝えたい。残したい。残したい鹿児島のデザイン。残したい価値観。
    自分がやらなきゃという使命感は衝動ではあるけども、決して「俺がカッコイイ」ではないと思うので、念の為。
    ワシはこういう話し合い大好きです。ずーっとこうでもいい!
    ブログの多くがおしゃれな癒される日記なのが勿体ないし、バカっぽいし、
    世の中が嫌になったり、将来が不安になる要因の1つになってます。
    オーテマのはほどよいバランスだよね〜。世渡りうまいよね〜。
  13. ヘルベチカ組んだだけみたいに見えるロゴタイプを、
    これ、デザイン、これ、デザインじゃない・・みたいなことを、一般の人に説明するめんどくささに近いような。。
    うー、どんな発注者がいて、何がもとめられて、そこにいくらコストがかかってって・・そしてそれがいつの時代のものでみたいなこと理解できないと・・っていうか、その部分にまず耳をかたむけてもらわないとそもそも理解するのは不可能。「あゆプロデュース(古)」みたいなレベルのグッズ感覚でしかデザインやアートが語られない違和感。
    「アート好きなんですぅ」って、黒毛和牛を真っ二つにして、お部屋に飾ってる女の子がいたら、それはそれで説明に困るのですが。
  14. ダーンサさん→
    偏見も多少入っているかもしれませんが、
    う〜ん、なんだろ。
    たとえば自分はベンシャーンや水木しげるは大好きなんです。
    でもそうじゃない人々(身の回りにそういう人のは手元にないので思いつかない)
    例えば辻さんとか?
    いわゆるメッセージある気な作品もしくは「本当にそう思ってるの?」と疑わしい作品。
    そういう疑わしい作品にガッカリするって事だと思たんです。
    『伝えなければと思ってる人』と『メッセージがあるとカッコイイと思ってる人』で言えば
    後者の事だと思ったんです。
     
    もしかして「メッセージに頼り過ぎてる人」ってことですか?
    あるいは「技法としてのメッセージになってる人」ってこと?
    あの〜、考え過ぎですか?
  15. ダーンサさん→
    あれ、更に読み違えか・・・。読解力ないなあ、オレ。ダーンサさんとは、同じ事を説明するのに、裏と表から表現するのでいつもぶつかるという結果になりますね。学生時代から続いています。今、論点が分からなくなってきてきています。デザイン、アート、どっちでも構わないけど「何をする事に意味があるか」という点に絞ると、結局、両者とも世の中をどうにかしたい、今までと違った見方があると提示したい、そういう事でしょ。それを、体制側からやるのは最も意味がないし、ズルイ。だから自由な立場で生きている。またズレたかも知れないな。ブログも、確かに9割方は要らない情報ですね。少なくともそういう流れには乗りたくない。おしゃれ、という事に関して言うと、昔ダーンサさんが「大人のイラストレーターは作品を額に入れて小綺麗に飾るのがけしからん」という発言をしたのを鮮明に覚えています。裸のパネルの方がオシャレかも知れないね(オシャレって言うとまたアレだけど、良い意味でね)。今準備している個展は、そういうダーンサさんとのやりとりを想い出しながら描いています。額に入れる作品もあるけどね。
    ptaさん→
    そうですね、とにかく、軽くなってきたんですよ。アートもデザインも。昔は、その世界にしか帰属出来ない様な、一般教育で落ちこぼれたような、或いは満足出来ない様なキャラクターが集まっていたんですが。生きるとか生きなとかじゃなく、それ以外の道がない人が業界も作っていた。今はサイドビジネス、小遣い稼ぎ。どの業界でも現在問題になっていると思いますが、プロとアマの差がなくなった。お笑い界も。全体で見ると文化度が下がる。
    しば氏→
    メッセージ性に頼りすぎている人、いますね。自分の場合は、ニガテです。ジョンとポールだったら明らかにポールですよ。絵で伝えられる事は、絵でいいと思うんです。結局、自分という殻からは抜け出せない訳ですから(超越しようと思っても)、普段の姿勢が全て出る。メッセージは余計な事の様に思います。